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ゲームやつぶやき

嘘は控えめ 誠意ある嘘をつこう

おしゃべりであると同時に嘘が嫌いだ。
騙されるのは気分が悪いし、ウソはウソを呼び、クセになってしまう。
だからできる限り嘘はつかないようにしている。


とはいえ人が暮らしの中で嘘を必要とする場面は少なくない。
本当の事が必要ない場合すら多々ある。

仕事で取引先相手に何もかも真実を話すビジネスマンはいない。そうする必要もない。
プライベートでそれほど親しくない同僚や友人が相手の場合もそうかも知れない。

ただ忘れないようにすべきはクセにならないよう注意することではないかと。
とっさに嘘を思いつくスタイルが身につくと、常に嘘が飛び出す人間が出来上がる。
嘘を取り繕うために更に嘘を重ねる。そんな悪循環にならないように気をつけないといつの間にか取り返しのつかない状況となり、本人ですら「あれ?こんなハズでは・・」という状況になりやすい。

意外とそういう人が多いと感じている。
例えば営業職の人。軽い嘘を連発してくる相手だとまず警戒してしまう。
あらゆる事が嘘であり、大げさなのでそういう人のセールストークは商品説明、機能、サービス全てを都合よく語ってるんだろうな、と考える。そして大体当たる。

正直なセールスマンなんて居ないかもしれないけど、誠実さを感じさせてくれる人なら居る。
そういった人は嘘の絶対量が少なく、真実も散りばめられ、誠意ある表現方法を使う。
少しでも信頼感を増すために”自分を守るための嘘”を控えめにしてみてはどうかな、と思う。


「嘘をつく」 と 「真実を言う」の間にはいくつか選択肢がある。
「本当のコトを言わない」や「嘘ではない」という話し方がそうだ。

これらを巧みに利用して騙そうとする人間の相手も辛い。だが彼らは自分をも騙している場合がある。
一方で、これらを巧みに利用して人間関係を円滑にしようとする人達も居る。

 

非常に好きだった村上春樹の小説「風の歌を聴け」に書かれている文章

”嘘と沈黙は現代の人間社会にはびこる二つの巨大な罪だと言ってもよい。実際僕たちはよく嘘をつき、しょっちゅう黙りこんでしまう”

そうだそうだ、と思い強く共感を覚えて読み進めるとこう続いていた。

”しかし、もし僕たちが年中しゃべり続け、それも真実しかしゃべらないとしたら、真実の価値など失くなってしまうのかもしれない”

著者 村上春樹
講談社文庫 「風の歌を聴け」

 

その時には若かった自分は 確かにな、と思い嘘や沈黙を一方的に悪いものと決めつけて考えることをやめた。


優しい嘘
私を大の嘘つき嫌いと知っている嘘つきの知人がよく「優しい嘘ってのはあるのよ」と話していた。
確かにそうだ。時には優しさを以ってウソを伝える場合がある。そうする必要がある場面はある。
しかし普段から嘘をつきがちな人にそう言われても自分に対する言い訳に聞こえてしまうし、だからといって得意げにウソをつかれてもなあ、と感じる。

優しい嘘というのは存在するし必要な場面もあるし円滑に生きるために欠かせない重要なものだとも思う。


では優しさって一体なんだろう
昔からよく考えるテーマだけど、冗長なのでまたの機会に